丹羽隆志の建物デザイン、グリーン建築へのとりくみ

ベトナム・建築家日記

ハノイ生活

なぜベトナムの国旗は「ひとつ星」の図柄になったか

投稿日:2015年5月5日 更新日:

 

ハノイに寄ってくださった建築家・吉田晃さんからの差し入れで、PHP文庫『日本史の謎は「地形」で解ける』3部作を読みました。建設省でダム・河川のエンジニアとして長年活躍された竹村公太郎さんが鋭い観察眼で地形というインフラストラクチャーから歴史を痛快に読みといていく謎解きは非常に面白く、余暇に一気に読み進めることができました。「なぜ?」からはじまる問いにインフラストラクチャーから示されたデータをもとに答えていくこれらの一連の文章は、知識として覚えている歴史上の出来事にあたらしい視点や理由を気づかせてくれる内容です。僕たち建築・土木に携わる人間だけでなく、施政やまちづくりといった長期的な視点で物事を考える必要のある方々にぜひ読んでいただきたい本です。

その二冊目、【文明・文化篇】と名づけられた中に「なぜ日本の国旗は「太陽」の図柄になったか」という一節がありました。日本の国旗、「日の丸」がどうして太陽をかたどったものになったかという素朴な疑問を各国の国旗の比較を通しての考察で明らかにしています。一方、ベトナムの国旗といえば赤地の旗のまんなかに黄色い大きい星がひとつ。ベトナムはこの2015年4月30日にサイゴン陥落、ベトナム戦争終結40周年をむかえたこともあり、この連休中はこの赤い旗が街をいろどっていました。竹村さんの考察を軸に、ベトナム国旗がなぜ赤地に「ひとつ星」になったのかを考えてみたところ、いろいろなピースがパチリとはまりベトナム人の原風景にたどりついたので、ここに記します。

 

 

太陽の図柄の国旗と星・月の図柄の国旗の地理的関係

竹村氏の調査によれば、日本のように太陽を国旗のシンボルにしている国は緯度の高い温帯あたりに多く国旗としてはずいぶんと少数派だそうです。一方で夜の空のシンボル、月や星を国旗のモチーフにしている国は赤道直下から緯度南北30度くらいまでの熱帯・亜熱帯に多くなります。

その理由として、温帯の国では太陽の恩恵を得て日中が活動の時間帯になる一方で、熱帯の国では太陽の暑さは相当にきびしく主だった活動時間帯が夜になることが原因だろうと経験から推察されています。熱帯では太陽は避けたい対象で、月、星が出ている時間が喜びの時間になる、というのです。

日本と同様に南北に非常に長い国として知られるここベトナムですが北緯8度~24度に位置し、南側は熱帯、北側は亜熱帯に分布します。(下のケッペンの気候区分図での青系が熱帯、緑系が亜熱帯に分類されます。)僕の住む首都ハノイは北緯21度の亜熱帯エリアにあり、春夏秋冬の四季があり、冬の気温は7度くらいまでになります。ただ四季とはいえ夏の期間は長く、4月後半から11月にかけて夏日が続きます。6月、7月には40度になる日もあり、湿度の高さとあわせてエアコン無しでは昼間の生活は困難なくらいです。猛暑の昼間に幼児をつれて出歩くと、ベトナム人のおばさんたちからは大そうな剣幕で注意をうけます。一方、朝は夜明けからにぎやかで、夜は10時過ぎまで路地で遊ぶ子供たちの声がアパートの部屋まで届いてきます。

 

ケッペンの気候区分から抜粋

ケッペンの気候区分から抜粋

 

 

ベトナムの国旗デザインの一般的説明

ベトナムの国旗は「金星紅旗(きんせいこうき)」とよばれます。ベトナム語では「Cờ đỏ sao vàng(金色の星のある赤い旗)」、英語はその直訳で「Red flag with a gold star」です。この国旗はベトナムがまだ国としてフランスから独立する以前、1941年の太平洋戦争中にベトナムを占領していた日本軍への反抗活動の旗印としてホーチミンが結成したベトナム独立同盟会(ベトミン)が使ったところに起源があるそうです。

 

ベトナムの国旗(金星紅旗)

ベトナムの国旗(金星紅旗)

 

このデザインについては一般的には、地の赤色は「革命で流された血の色」、星の黄色は「肌の色」もしくは「革命の色」、星の五つの頂点がそれぞれ「労働者」「農民」「知識人」「青年」「兵士」を意味しているという説明がなされます。(参照:wikipediaベトナムの国旗)

この説明は以前からどうも腑に落ちなかったので、一般的に見られる共産国家の象徴である赤色に星の図柄があしらわれている程度に考えており、特に特別な関心を持っていませんでした。しかし、竹村氏の本を読みながら国旗は地形がつくりだす人々の原風景につながっているという視点で見ると違う説明が浮かんできました。

 

 

湿ったベトナムの空に浮かぶ明るい一番星、明星

ベトナムは湿気が多い国です。特にハノイの朝は1キロ先もかすむほど湿度が高いことが多いのが特徴です。以前宿泊したロッテホテルの地上56階のダイニングから見下ろす朝の風景もすごくかすんでいて、雲の中かと思えるほど幻想的な風景でした。

それほど湿度が高いので、よほどの田舎にいっても夜空に見える星は日本ほど多くないように感じます。ましてや夜でも明るくなった近頃のハノイ市内では、夕方、明け方に見える一番星、明星が明るく瞬いているのを観察できる以外に星を見ることはなかなかできません。(かすんでいるのは湿度だけでなく空気が汚れているというもっともな意見もあります。)

この空に明るく輝く明星。実はベトナムの国旗にみられるひとつ星というのは、この明星なのではないでしょうか。夕焼け、朝焼けのオレンジ色の空に浮かぶ明星が、ベトナムの人たちにとって喜びの象徴であり、人々の活動の時間を祝うものだったのではないだろうか、と考えてみると非常にわかりやすい。

明けの明星はベトナムではSao Mai(サオマイ)と呼ばれています。(英語ではThe morning star)。ベトナムの街を歩けば、タクシーや売店など多くの会社がSao Maiを社名として使っているのに気づくかもしれません。一方、宵の明星はsao hôm(サオホム)と呼ばれますが、あまり使われないようで、何人かに聞いてみましたが「なんていうんだったけかな?」と出てくるのに時間がかかりました。

 

 

デザインする立場から考えたこと

僕は建築家という職についていますから、普段からデザインについて考え、その考えたものを説明しなくてはなりません。同じように国旗をデザインした人の気持ちになってみると、まず直感からくるアイデアがあって、その補足として説明などを後からつけたので一般的な説明は非常に堅苦しいものになった、と考えることができます。国家の旗だから、イデオロギー的なもっともな理由が必要とされたからでしょう。でも、そのデザインのとっかかりは、朝焼けの東の空にうかぶ明けの明星もしくは夕焼けの西の空にまたたく宵の明星に見える、貴重な活動時間からくる喜びが隠れているのではないかと思うようになりました。

「夕焼けは羊飼いの喜び、朝焼けは羊飼いの悲しみ」というマザーグースの歌があります。湿度の高いときほど、朝焼け、夕焼けはより赤く美しく見えるそうで夕焼けの次の日は晴れるというのが高緯度地域ではよく見られることから英語圏でそう歌われたそうです。低緯度のベトナムでは偏西風が吹いているわけではないので、天気についてはこの歌の知識をそのままあてはめることはできません。しかし、年中を通して湿度が高いベトナムでは、時にびっくりするほど赤く美しい夕焼けに出合うことがあります。

朝の早いベトナム人。明け方、明るくなりはじめてから太陽が出だすまでの時間は貴重な活動時間だったと思います、また、一日の終わりの夕焼けも日没後の涼しい時間に向けての活動の時間を彩る風景だったのではないでしょうか?

 

 

船上から見る空

豊穣なデルタを育む大河をもち、南北に長く伸びた国土の東側を南シナ海に臨むベトナム。ホイアンの栄えた江戸時代から日本とも交易が盛んだったことから船での移動は一般的だったと思います。ジャングルにさえぎられず、この明星のある空を見渡せる場所を与えてくれるのは船上ではなかったのか?そう思い、1930年代のフランス占領下のベトナムをテーマにした名映画「インドシナ」を見直してみました。

すると冒頭のシーンから霧の中を走る船。夜明けの葬儀の場面から始まりました。つづくシーンの検問も船の交通を取り締まっています。やはり、フランス統治時代、船は主要な交通手段だったようです。ベトナムの独立革命のために人生をかけた人たちもベトナム国内を移動するために船上での時間を多く過ごしたはずです。国民も、また、革命を指導した人たちも持っていた共通の風景。それが赤い空に浮かぶ明星、でした。

ひきつづき映画をみていくと、ゴムのプランテーションの作業場面では、作業者が額に明かりをともして森にわけいっていくシーンになります。夜明けの暗い時間帯から労働作業がおこなわれていたことがよくわかります。暑くなる昼間を避けて、早朝、暗いうちから朝の時間帯、そして夕方から暗くなるまでの時間は貴重な労働時間や船での移動時間だったと考えられます。

 

 

ダナンでのサイゴン開放40周年のパレードを見ながら

2015年4月30日(木)、ベトナムはサイゴン陥落からの40周年を迎えました。僕がベトナムに来たのは2010 年。当時ホーチミンオフィスしかなかったためホーチミン市に入りました。ハノイオフィス立ち上げまでの4ヶ月間の間に戦後35周年を迎えるホーチミン市内での祝賀パレードに出くわしました。5年後、ハノイにいながらそのころのことを思い出しテレビをつけると今回の40周年祝賀パレードの地はダナンでした。

暑くなる前、朝8時からはじまったにぎやかなパレード行進を見ていると、国旗を振る人たちの中に上下二色に分かれたベトナム国旗を振る人たちが見えました。この旗は、上部が赤、下部は青、その真ん中に黄色の星を備えています。その色の配色に軽い衝撃をうけすぐ調べてみるとその旗は、当時、ベトコンと呼ばれたベトナム南部解放戦線の旗でした。決して色の配色としては良くないその旗をみながら、当時の執行部の人々の心境が浮かび上がってきました。やはり、星は明けの明星だったのではないかと。そして、船上からの風景だったのではないかと。

 

900px-FNL_Flag.svg

ベトナム南部解放戦線の旗

 

赤は共産国家のテーマカラーで、青はアメリカのテーマカラーでありますから、この青色は民主主義の象徴という風に説明されることでしょう。しかし、僕の目には海と朝焼けの赤い空に浮かぶ明星を見つめながらベトナム統一を誓うホーチミン主席の姿が見えました。

 

 

金星=明星

ここで稿を読み返していてもうひとつ気づいたことがあります。明星は金星、この旗の名前は「金星紅旗」です。ベトナム語ではこの旗の星は「sao vàng(サオヴァン)」すなわち「黄金の星」という意味となっていますが、過去に漢字を使っていたベトナム。中国との交流が多かったベトナムの独立活動家たちや中国での滞在が長かったホーチミン主席にとってこの「金星」は中国語での「明星」としての「金星」と同義であったはずです。では、どうして黄金の星としたのでしょう。国家の旗としてより象徴性をあげたかったから、なのかもしれません。

 

この仮説を思いつき稿を書きながら、ベトナムのひとつ星の国旗に非常に親しみがわいてきた、そんな気がします。そういえば息子が通っている幼稚園も「モーニングスター・キンダーガーデン」といいます。フィンランド人のだんなさんとベトナム人の奥さんが自分たちの子供たちのために始めた幼稚園です。今度、園長先生にも幼稚園の命名の由来を聞いてみたいと思います。

 

 

参考

日本史の謎は「地形」で解ける【文明・文化篇】』竹村 公太郎著, PHP文庫, 2014年「第14章:なぜ日本の国旗は「太陽」の図柄になったか」p.259-284

僕がベトナムに投資する理由:ベトナムの国旗はなぜ赤いのか?

 

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