ハノイのフレンチ・コロニアル建築が黄色いわけ

改修中のハノイの北門協会

最近、ハノイでは古い建物の改修・保存が積極的に行われています。

冬の寒さの迫る中、フレンチ・コロニアル時代の代表的建築家、エルネスト・エブラールの設計した北門教会も、外壁の古いモルタルがはずされ、新しい外壁に修復されるとともに、黄色の鮮やかな外壁になっていました。

古いモルタルを丸ごとはがして新しいモルタルを塗る建物の修復の仕方にもおどろいたのですが、北門教会の新しい外壁色「黄色」にもびっくりしました。なぜなら、以前の教会の外壁は渋いグレーで、個人的には好きな外観だったからです。(写真をみると以前の外壁は黄色だったのがハノイの厳しい気候により色あせていた状態だったようです。)

ハノイの街並みをみていると修復されたフレンチ・コロニアル建築に塗られている黄色は、ベージュに近い色からオレンジが混じった鮮やかな黄色まで、かなり幅があります。保存計画の中でおそらく「黄色」、という指定はあるのでしょうが、あとは各建物担当者の判断に任されているように思います。

黄色い建物は、フレンチ・コロニアル様式の建築にかぎられます。古いお寺や住宅などの建物は、屋根・床にテラコッタタイルのオレンジ、外壁は白やグレー、木部はこげ茶や赤茶色というのが一般的だと思います。

ハノイのフレンチ・コロニアル建築が黄色い理由

そこで、以前から疑問に思っていたフレンチ・コロニアル建築が黄色い理由について調べてみました。このフランスの影響。大田省一さんの著書、『建築のハノイ – ベトナムに誕生したパリ』にしっかりと理由が書かれていました。

「これらの建築物は、形はフランス的だが、フランス人にとって南方を意味する黄系色で塗られており、いわば「色の南方趣味」ともいえるものである。フランス人にとって、黄色い建物は南部にあるものだった。南仏にいけば、たしかに黄色い壁の建築が多い。これは、プロヴァンス地方で産出するオークルなどの石材に由来するが、建築材料として盛んに使用され、インドシナへも輸出されていた。オークルの実際の使用はインドシナではごく限られていたと思われるが、壁を黄色に塗ることで、建築家たちは南方の地に立つ建築であることを表現した、ということのようだ。」(p.15)
『建築のハノイ– ベトナムに誕生したパリ』, 大田省一著, 増田彰久写真, 白揚社, 2006年

この本の表紙の建物、ハイ・バー・チュン通りのベトナム最高裁判所もしっかりした黄色の外観です。

2004年、僕が南仏を旅行したときによく記憶に残っているのが、アルルの街並。イースターに行われていた牛追い祭りと闘牛とともに、「ヴァン・ゴッホ」という名前がつけられた、ゴッホが実際に描いたレストランの外壁の黄色がよく記憶に残っています。街並みを象徴する黄色です。

オークルについて

地理学者、Steve Schimmrichさんのサイト、「Hudson Valley Geologist」にオークルについて詳しい説明が載っていました。

Steve Schimmrich「Hudson Valley Geologist」:Ochre

すこし長いですが、下記要約です。

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オークルという自然顔料は、大きく赤色と黄色が知られています。どちらも酸化鉄の鉱物です。

レッド・オークル

レッド・オークルは赤鉄鉱あるいはヘマタイト(Fe2O3)とよばれる鉄鉱石から作られます。いわゆる錆(さび)です。ヘマタイトというのは、ギリシャ語で血を表す単語のheimaから来ています。(ヘモグロビンという言葉と同じ語源です。)

レッド・オークルは旧石器時代から使われている顔料で、スペインのアルタミラ洞窟の野牛の絵にも使われています。南アフリカのスワジランドにあるライオン洞窟が世界最古のレッド・オークルの産地として有名で、4万3千年前に使われていたとされています。

アフリカの原住民の間では、現代でも女性が自身を彩るために使われています。ナミビアのヒンバ族(Himba Tribe)が有名です。

南北米大陸でも古来より知られた顔料です。コロラド高原地域の砂岩が赤いのはヘマタイトが含まれているせいです。アナサジインディアンやその他のアメリカ先住民が顔料として用いていました。ユタ州のキャニオンランズ国立公園の奥深く、ホースシュー渓谷のグレートギャラリーにある壁画Holy Ghost panelが有名です。

イエロー・オークル

一方でイエロー・オークルは水和水酸化鉄(III) (FeO(OH) • nH2O)が主原料です。地理学者の間では一般的に褐鉄鉱・リモナイト(limonite)と呼ばれますが、実際は、鉄分を多く含んだ水が、主にバクテリアの働きによって大気中の酸素と接触する状態になったときに生成されるいくつかの酸化鉄の混合物です。ですからこの鉱物の堆積鉱床を沼鉄鉱(bog iron)とも呼びます。

沼鉄鉱はバイキングをはじめとした北ヨーロッパ地域では重要な鉱石でした。顔料としても使われました。オーストラリアのカカドゥ自然公園のイエローとレッド・オークルで描かれた亀の絵が知られています。

----------以上、要約

イエロー・オークルは黄土色、レッド・オークルは、弁柄(ベンガラ)と日本では言われます。

イエロー・オークルの原料、リモナイトは日本では、九州の阿蘇地方でとれる阿蘇黄土という顔料が有名のようです。顔料以外にもさまざまな使い方がされている顔料です。便のにおいを抑える効用があることから、最近はペットフードの中に含まれていたり、ダイオキシンを吸着するために使われたりしているようです。

黄色のもたらす意図を知った上で考えること

ハノイの黄色がフランス人の南のイメージから来ているというのは理由だとしても、徹底的に黄色を用いたのはフランス政府の植民地政策の一環でもあったことでしょう。それまでのハノイの街中にはなかった洋館が短期間のうちに建ち、外壁は黄色で統一される。

フランス政府の力を見せ付け、この圧倒的な街並みを作り上げた植民地政府を畏怖すべき対象というイメージとして人々に植えつけるのに十分な効果があったと思います。黄色が使われたのはフランスの政府系の建物だけで、あったはずです。

ハノイにすんでいると確かに黄色に包まれた建物と緑の対比は鮮やかに印象に残ります。ですが、個人的にはハノイには、古くからはぐくんできた街並みにとけこむ色が似合うと思います。テラコッタの屋根、カビとほこりによりすすけたグレーやブルーストーンの青みかかったグレーなど。異文化が持ち込んだ鮮やかな色よりも都市が古来からはぐくんできた色は、街の雰囲気ともよくなじみます。

今一度、街を見渡してみて、「なぜ黄色か?」について問いかけてみては、と思います。

参考リンク

『建築のハノイ– ベトナムに誕生したパリ』, 大田省一著, 増田彰久写真, 白揚社, 2006年

Steve Schimmrich「Hudson Valley Geologist」:Ochre